プロフィール

当サイトをご覧頂きありがとうございます。簡単ですが私…斉藤の自己紹介をさせて頂きます。

神奈川県在住のアラフォー、湘南と横浜を行ったり来たりしています。元料理人で飲食店で独立をして、2016年よりWEBビジネスをスタート。現在はDRMを中心としたビジネスの仕組み化・自動化のサポートをしています。

趣味は漫画・映画・音楽・料理・お酒など、海の近くなのでサーフィンもかじりましたが腰を痛めて中止。ですので、インドアが中心です。

サクッと自己紹介をしましたが、せっかくなのでもう少し役に立ちそうなことを話していこうかと思います。

他の動物と異なり、人間のスゴイところは成長性。それを可能にしているのが、文字によって他人の経験を追体験できるところ。

私の体験談(主に失敗体験)を追体験してもらえれば、少なからずあなたの人生のお役にたてるかもしれません。同じような失敗をしなくて済む確率が高まります。

環境が人間を支配する

運というものがあるのかはわからないですが、生まれ育った環境と言うのは運以外の何物でもないです。

私の場合はというと、爺さんも、父親も、親戚も、いとこも、ほとんどが起業家や経営者ばかりの血筋。物心がついたときには私自身も起業家や経営者になるのだろうなと考えていました。そういう意味では生まれながらにして恵まれた環境にいたといえます。

ダーウィンが言うように動物は環境によって大きく支配されてしまいます。

環境によって鳥は空を飛べなくなり、しつけられた象はサーカスから脱走しなくなります。これは人間も同じ。

もし、あなたの夢がイマイチ実現できていないのであれば、それは環境が大きな原因のひとつかもしれません。今一度、振り返ってみてください。

これは私の師からの受け売りですが、

  • 正しい環境
  • 正しい目標
  • 正しい指導者

この3つの要素があれば8割方成功しているとのこと。

確かにそうですよね?この3つの要素がそろっていれば、嫌でも成功しそうですよね?逆にこれらをそろえていなかったら、残りの2割で勝負しなければならないので、成功確率はかなり低くなります。

一度、ご自身に置き換えて考えてみてください。

サラリーマンになったら負け

生まれ育った環境のせいか、ものごころがついたころには「サラリーマンになったら負け。」と思っていました。

こんな過激なことを言うと怒られるかもしれませんが、感情論ではなくまぎれもない事実。特に日本の会社員の場合、ほとんどの会社で自社株を購入する(ストックオプション)が出来ません。

これが意味するところは会社員ではなく従業員でしかないという事。

つまり、自分の時間を切り売りすることで対価をもらっているに過ぎません。

時間給労働者…バイトと同じです。(バイトが良い変わるかは別として、短期的に稼ぐのであれば良いと思います。)

会社員が安定した給料をもらえているからといって、安心してぬるま湯につかっていたら、いつの間にか「飛べない鳥」になっているかもしれません。

経営学者のピーター・ドラッカーは会社の平均寿命は20年…人間の人生よりも短いことが問題だ言っています。昔は平均寿命が短かったから、それでも良かったですが、現代は普通に80歳・90歳・100歳と長寿になっています。

また、統計上20年以上存続できる会社は全体の5%ほど、つまり100社のうち95社が潰れています。上場している会社でも、勤続20年の会社でも潰れるときは潰れます。生き残れるのは全体の5%だけ。

ほとんどの会社が潰れます。

そして、会社がつぶれ放り出されたとき、飛べなくなった鳥はどうやってエサにありつけば良いのか?

路頭に迷うのは目に見えています。更には、会社員で飼われている限りは、お金持ちになることはハッキリ言って無理ゲー。

もらえる給料は経営者にピンハネされた給料でしかなく、リーマンショックやコロナショックなどを経験した経営者の財布は固く縛られています。

内部留保といって、万が一のために会社に貯金を残すようにしています。そのため、給料が上がることはほとんどありません。上がったとしても雀の涙ほど。

ただの従業員に十分な給料を払うよりは、会社の存続のためにお金を貯金・運用したほうが良いに決まってますよね?

つまり一生懸命、勤めている会社で働いたとしても会社員が大金を得ることは難しいわけです。

「じゃあ、副業で稼いでやる!」

と副業にいそしんだとしても、労働収入・時間給では稼げる金額のMAXは決まっています。なぜなら、1日は24時間しかないから。

衝撃的な事実を言います。

時間給で月収100万円になるためには下記のような公式になります。

時給6250円×8時間×20日=100万円

時給6000円以上の仕事というと、弁護士や医師のような仕事ぐらい。普通のサラリーマンからしたら無理ゲーじゃないでしょうか?副業ならなおさら無理ゲー。

つまり、一般人がお金持ちになるためには、自分が働いていない時にもお金が入ってくる仕組みを作る必要があるという事です。

株や不動産などの不労収入の仕組みが必要不可欠になります。

不労収入の仕組み…あなたは持っていますか?

とまぁ、偉そうなことを書いていますが、私もサラリーマンとして10年以上働いていました。理由は明白。

当時の私には先ほど話した『正しい環境』しかなかったからです。

興味があるかどうかわからないですが、ここからは少しサラリーマンにならざるを得なかった話をしていきます。

人生、初めての挫折

『正しい環境』で育ったとしても、小・中・高と平凡な生活を送っていました。

どこにでも良そうな平凡な学生生活クラスで顔も名前も覚えてない生徒がいれば、たぶんそれが私。可もなく不可もなく、明確な目標もなく、気が付けば大学入試。平均的な大学なら入学できるだろうと思っていたのが大間違い。

残念な話、私の頭は平均以下だったようで浪人一年目に突入しました。

高校時代の友人達が、華の大学生活をエンジョイしているころ、毎日予備校生活を送っていました。

仲の良かった友人達が「斉藤なら来年は受かるから大丈夫。」と言ってくれたのが、すごく嬉しかったのを覚えています。

そんな友人のリップサービスを信じたまま再受験。結果、受験した全ての大学に落ちて浪人二年目へと突入。

「斉藤なら来年は大丈夫…。」

友人達の声はすごく小さかったです。

人間って不思議なもので、二年も世界のつまはじきにされると精神的におかしくなるようです。浪人生とかが変な事件を犯す気持ちもよくわかりました。

私も高校時代の仲間がいなければ、そっち側の人間になっていたのでは?と今思いなおしても恐ろしいです。もし、周りに浪人生がいたら優しく接してあげてくださいね。

この経験でわかったのが、自分は平均的な頭だと思っていたのが、どうやら平均以下の頭しかなかったのだなと。

そこで本気で猛勉強をしました。

ただ、残念なことに猛勉強をしても、元の人間の脳ミソがアレだとたいした結果は出ません。

気が付けば、なんとか名前を書けば受かるレベルの三流大学に、2年浪人して入学をしたわけです。

将来のない三流大学

二浪の末の大学…周りは私よりも2年も年下。

人よりも遅く入学した私には焦りもあって、せめて知識だけはと毎日読書三昧していました。

浪人時代に知った本の魅力にとり憑かれたということもあったのですが、そもそも三流大学を卒業したところで、ろくな就職先もあるわけもなく、ましてや二年浪人した人間が入れる会社なんてあるわけもないです。

そして、育った環境が私に言います。

「サラリーマンになったら負け。」

だったらいっそのこと、大学卒業と同時に起業をしてやるぞと。

とはいえ、何で起業すればいいのか全くわからなかった私は、とりあえずイロイロと経験をしようと在学中にキックボクシングを始めました。

当時はK-1全盛期。

そして、2年間全く運動をしてこなかったこともあってか、毎日ジムに通うようになったわけです。

やがて、仲間と本場のタイでムエタイの修行をしに行きます。

微笑みの国が人生を変えた

現地のマンスリーマンションを借りて、通算で3ヶ月ほどタイでムエタイ修行をしているうちに理解したのは、ムエタイ選手という職業が恐ろしく貧乏だということ。

当時のタイは日本と比べてもかなり貧乏な国だったのですが、その中でもムエタイ選手はトップレベルで貧乏。貧乏な少年たちは、地方からバンコクのムエタイジムに住み込みで修行に来ています。

朝から夕方まで練習に明け暮れ、ムエタイチャンピオンになることが彼らが唯一残された大金をつかむチャンス。

当時のタイで他に大金をつかむチャンスといえば、芸能人になるか、身体を売るか、ギャングで生き残るしかありません。

ムエタイのチャンピオンになるという目標は、大学の入試とかそういうレベルの争いではなく、国体で1位になるとかそういうレベルの争い。ハッキリ言って無理ゲー。

そんなタイでのある日、お世話になっているムエタイジムのトレーナーに誘われ、1日中ムエタイをやっているTV局に招待されました。

会場内は大歓声と熱気で包まれ、私も興奮をしていたことを覚えています。

リングサイドで白熱した試合を観戦していると、でっぷりとお腹に脂肪を蓄えたオッサンたちが、身振り手振りで「どっちが勝つか賭けないか?」と言ってきます。

そう、ムエタイはタイでは国技であり、賭けの対象でした。

ムエタイ選手はその賭けの駒でしかないわけです。

お金を多くつかんでいる人達は、選手ではなく周りで賭けを仕切っているブローカーたち。

結局は『やる側』と『やらされる側』に世界は支配されていることを思い知らされました。

応援していたジムの選手は相手の肘が額に入り、パックリと流血して、あえなくTKOで敗退。

医務室に連れていかれた彼は、額の傷口からあふれ出る血を、雑巾のような布で拭い取り麻酔もなしで縫っていきます。

当たり所が悪ければ死ぬこともある格闘技。彼らは生きるか死ぬかの境界線で生きていました。K-1が大人気だったこのころ、こんな世界で生き残れる奴は日本で1人か2人。

「私が生き残ることは出来るのか?」

もちろん答えはNO!!

私は速攻でキックボクシングを辞めました。

ビジネスチャンスはどこに落ちているかわからない

そもそも何かのルールで1番になるということは、才能があったとしても非常に確立の低く、並大抵の努力では成し遂げれません。

でも、ルールのないビジネスの世界だったら…1番にならなくても、ある程度稼げたら生きていくことが出来ます。少なからず雑巾で傷口を拭くというギリギリのことはしなくて済みます。

そんな思いもあって、タイに滞在中の間に何かビジネスのネタになるようなものはないか探していました。

そこで出合ったのが、住んでいたマンスリーマンションで知り合った高木さん。

高木さんはベトナムでカフェバーのオーナーをしながら、タイやベトナムの古着を日本に輸出していました。

数か月に一回、古着をコンテナに詰めて日本に輸出。

安く仕入れて高く売る。

商売の基本ですが、当時の私の目には新鮮に映りました。

高木さんいわく、昔バックパッカーで知り合った仲間と、この古着輸出のビジネスをしているのだそう。

ビジネスって本当にどこにチャンスが落ちているかわかりません。タイの安宿のドミトリーで知り合った仲間とビジネスで成功しているわけですからね。

ある日の夜、その高木さんが良く行くタイの屋台に連れて行ってくれました。

タイの食事のほとんどは屋台で成り立っています。その中でも美味しいお店があるからと連れて行ってくれたわけです。

「ここの飯がうまいんだよ。」と高木さん。

一口食べて私の人生が変わりました。

タイ料理なのに辛くなく、日本人の口の合った料理。

そして、さらに目を引いたのは屋台のオーナー。

仕事はスタッフに任せ、ランドクルーザーの横で両手に溢れるほどの札束を数えては輪ゴムでとめていました。

結局は『やる側』と『やらされる側』にこの世界は支配されている。

今、このタイ料理を日本に持ってくれば、やる側に回れるぞ。

屋台のオーナーがテーブルの上に輪ゴムの束を積み上げていく光景が、私にタイ料理を一層美味しく感じさせてくれました。

やる側に回ると決めたタイ料理店…

就職活動?そんなものは一切なし。

なぜなら、すでに話した通り、二浪の三流大学卒を雇ってくれる就職先なんてないですし、生まれ育った環境がビジネスを起こせと言っていたからです。

そして何より、私には胸で温めたタイ料理のビジネスモデルがありました。

大学の卒論もタイ料理について。今さらながら考えても、よく卒業できたなと思えます。

結局、日本の文系の大学なんてそんなものなんですよね。勉強をすることが目的ではなく、入ることが目的なわけです。

しかし、ここで大きなミスが!!

当時はワンボックスカーを改造してタイ料理の屋台をしようと考えていました。

オフィス街に繰り出してお昼ご飯を販売して…。

今では主流のビジネスモデルですが、当時はまだ目新しかったんです。

いける!!絶対に成功する!!

どこからともなく出てくる自信はあっても、ビジネス経験もなければ、事業計画書やお金もありませんでした。

300万円ぐらいは必要かな?と思っていたのですが、大学卒業したての当時の私にはお金がありません!!

今でこそ、融資やお金の仕組みなど詳しくなりましたが、当時の三流大学生にそんな知識があるわけもなく…。

大学の仲間が就職をして卒業をしていく中、私に待っていたのは、計画も何もない無気力な状態。

気がつけばニートになっていました。

夢は誰でも見ることができるけれども、夢を実現可能なレベルに落とし込むこと、はじめの一歩を踏み出すことができる人間はほとんどいません。

私もそのほとんどの人間だったと思い知らされたわけです。

やらされる側になり10年

ニートになってようやく思い出しました。

それはニートが世界から疎外された存在だということ。

浪人時代に味わったあの疎外感、このままでは頭がおかしくなる。高校時代の仲間達はとっくに就職。

ニートの心を支えてくれる余裕なんてありません。

なんでも良いから社会に属さなければと焦りました。

人生初の就活。

私が選んだのは飲食店でした。

そこで料理を覚えながら独立資金を蓄えようと考えたわけです。

ニートのだらけた生活の反動か、サラリーマン時代はものすごく働きました。

当時の飲食関係のほとんどはブラック企業。

御多分に漏れず、私が入社した会社も超絶ブラック!

同僚が一人辞め、二人辞め、先輩も後輩も辞めていく中、気がつけば私だけが残り、役職だけが勝手に上がっていきました。

勝手に役職が上がっていく中、独立のために あらゆるビジネス書を読み漁りました。なぜなら、私の夢は会社勤めでトップになることではなく、起業して経営者になることだったから。

収入の10%以上を自己投資に回し、書籍代だけで月に3万円ほど使っていました。そして、本から学んだビジネスの知識は片っ端から実践。学んだことが本当かどうか試したかったわけです。

マネジメントからコーチング、目標達成、組織論、料理の構成、心理学、キャッチコピーなどなど…学んだことで、できそうなことはすぐに実行。

気がつけば店舗の売り上げを毎年更新し、入社3年で5店舗のトップになっていました。

大学の入試のような答えのあるものとは異なり、答えのない社会において、自己投資こそが最も効率の良い投資だということが良くわかりました。

日本人の価値観の変わった日

やらされる側のサラリーマンで10年が過ぎた頃、日本人の多くの方の価値観を変えた事件が起きました。

3.11東北大震災。

やらされる側に慣れてしまった私の脳ミソにガツンとパンチを食らった瞬間でした。

多くの方がお亡くなりになり、私自身、命の危険にさらされました。

当時は10店舗の料理長として管理をしていましたが、受け持っていた5店舗が崩壊し営業停止。それでも残った5店舗の営業を見るために、私生活をほったらかしで仕事をし続けたわけです。

今までのあたりまえの生活が一瞬でなくなってしまう恐怖。

生きていることがあたりまえではないと日本国民が知った日。

頭の中で湧き出た疑問がグルグルとめぐりました。

「今やっていることは死ぬ前にやりたいことか?」

「今の仕事は自分の人生をかけても良い仕事か?」

「この人生は本当に自分が望んだ人生なのか?」

様々な思いが浮かんでは消え、結果、私が出した答えはこれでした。

「この仕事は死ぬ前にやりたい仕事ではない。」

やらされる側のサラリーマン生活11年目にして会社を後にしました。

起業しても負け

大学時代に考えていたビジネスモデルはすでに飽和しかけていました。

先人達が言っています。

「思いついたアイディアは1万人が思いついていると思え。」

時間というものはすごく残酷で、思い立ったらすぐに行動に移さなければなりません。昔、描いていた夢はすでにカビが生えたビジネスになり、気がつけば儲からないビジネスになっていました。

そこで新しくビジネスモデルを考え都内に飲食店で起業。半年から1年ほどたった頃、自分にお客さんがついてきてくれるようになっていました。

ありがたいことに、私の顔をみてお店に来てくれ、いないときは携帯に電話がかかるほどお客さんに気に入られました。

様々な人と出会い、お客さんに愛され、すごく刺激的で楽しい一年を過ごしましたが、自分の中でひとつのワダカマリが出ていました。

それは『自分がいなければならないビジネスモデル』ということです。

自分がいなければお金にならないのであれば、それは起業・独立をしたとしても時間給労働…バイトと同じでしかありません。

短期であればそれでもいいですが、10年20年と続くことを考えると、ビジネスの限界値が見えてきます。

散々勉強をしていたにもかかわらず、私は大きな間違いを犯していたわけです。

起業家になる、経営者になるという夢を追いかけるあまり、その夢の先を忘れてしまっていました。

もし、これから起業をされるという方は注意深く、あなたの夢の先を思い描いてください。

人生は点ではなく線です。

夢を実現するということは点でしかないわけです。

重要なことは起業家になることや経営者になることではなく、自分が働いていない時にもお金になるビジネスを持つことです。

勝手にお金が入る仕組みが出来ていれば、時間に追われることなく本業の利益を高めたり、異業種へのチャレンジをすることも出来ます。

あなたは、今の仕事を10年20年と毎日欠かさず続けることが出来ますか?

働かなくても勝手にお金が入る仕組みを作らなければ、あなたはあなた自身の夢に喰いつぶされてしまいます。

そんな時に、私の人生を変えた人がお店に来店しました。

近所の飲食店では出禁を喰らっている酔っぱらいのジジィでした。

ゼロから1年で40億…

「ここで飲めるのか?」と一風変わった老人は店の前で私に聞いてきます。

すでにロレツは回っておらず、胸元がはだけている。それでも何かただならぬオーラをまとっていたのは確か。

私も変わった人が好きなので、店の営業もソコソコに一緒に酒盛りを始めてしまったわけです。

最初はよそよそしかったジジィも、何度か顔を合わすうちに私のことを気に入ってくれたのか、それからというもの週3ペースで来店してくれるようになりました。

一緒に飲んだり、店を早めに閉めては飲みに行ったりしていくうちに、だんだんとジジィの素性がわかってきました。

酔っぱらいすぎると素行不良のために近所のいくつかのお店では出禁。私の店でも来店していただいてる女性客にナンパをし始めるなど、普通に考えてどうしようもないジジィ。

とはいえ、一緒に飲みに行くたびに酔っぱらいながらも客席数を計算したりします。

私も飲食店をやっているので同じことをしたりしますが、ジジィの場合は平米数も計算して家賃も計算。

頭の中が根っからの商売人なんだなと。

詳しく聞けば、水商売もしたことがあり、不動産も扱っていたとのこと。

他にも魚屋や飛び込み営業や女のヒモとかいろいろなビジネスの話を半年間で聞いたわけです。(ヒモがビジネスになるのかは別として。)

仲良くなりイロイロと話を聞いていく中で気になったのが、DRMの話でした。

DRM(ダイレクトレスポンスマーケティング)という言葉は、ほとんどの方は知らないと思います。最近はD2C(Direct to Consumer)とか2STEPマーケティングと言ったりします。

簡単に説明をすると、顧客リストを集めて商品を直接販売するビジネス。

店舗型のビジネスが受け身のビジネスに対して、DRMは攻めのビジネスと言えます。

「それでジジィはいったいDRMでいくら儲けたの?」と私。

「ゼロから始めて1年で40億…。」とジジィ。

初めて食べたタイ料理のように、私の頭に稲妻が走った瞬間でした。

リアリティを感じなければ人は動かない

DRMについては稼げるビジネスモデルのひとつだと、以前読んだ本で知っていたのですが実際に行動はしていませんでした。

始め方もわからなければ、始めるキッカケもなかったから。

何より当時の私の周りには、DRMで稼いでいる人がいなかったというのが一番の理由。

つまり、リアリティがなかったんですね。

リアリティがなければ、それが稼げるビジネスモデルだとしても人は動きません。

なぜなら、人は失敗をしたくない生き物だから。

でも突然、私の目の前にDRMで40億を稼いだジジィが現れたわけです。

しかもたった1年で。

リアリティを感じた私は店の営業をしながら猛勉強を始めました。

最強のビジネスモデルDRM

ジジィの場合は1000万円を使って富裕層の顧客リストを集め、封書で商品を販売したとのこと。

これは私にとって現実的ではありません。

種銭も無ければ販売する商品もないからです。

では、どうすればコネなし金なし私にでも出来るのか?

DRMについての詳細はまたどこかでお話ししますが、DRMの本質は商品を売ることではなく、商品を購入する可能性のある人を集めることにあります。

どれだけ素晴らしい商品があっても、購入する人がいなければ売上はゼロ円です。

逆に、集客さえできてしまえば、商品は何でも構わなかったりします。

ちょっと、わかりづらいですよね?

例えば、あなたがフランス料理が得意で、2000万円でフレンチレストランを開業したとします。

このとき、あなたが集客するべきはフランス料理を食べたい人です。

一方でDRMの場合は商品ありきではなく人ありき。

集客するのはお腹が空いている人です。もちろんフランス料理を食べたい人で集客しても良いですが、お腹が空いている人よりも圧倒的に間口が狭くなります。

フランス料理を食べたい人<お腹が空いている人

お腹が空いている人を集客できればフランス料理だけでなく、お寿司・中華・焼肉…何でも販売(紹介)することが出来ます。

今日フランス料理を紹介して、明日は中華料理、明後日は冷凍食品を紹介することも出来ます。

理由はお腹が空いている人を集客しているから。

しかも、自分の商品を持っていなくても、他社の商品を紹介して紹介マージンをもらえばいいので、何千万円とリスクを背負って店舗を構えなくてもいいわけです。

一般的なビジネスの思考とは真逆…発想の転換が必要になります。

そこで、コネなし金なしの私が出来ることとして、まずはWEBで集客・販売できる仕組みを作ろうと考えました。

WEBであれば、そこまでお金はかからないだろうし、DRMもハガキや封書などではなく電子メールで代用できるだろうと。

本来であれば自分の店舗の集客をと考えていましたが、移動できない店舗にこだわって失敗する可能性があるならば、ひとまずブログを勉強しようと、いくつか教材を購入したり、30万円や100万円のコンサルを受けたりと、猛勉強と実践をしたわけです。

ブログを始め1週間で1500円…

最初に始めたのが自動広告のGoogle Adsenseを使ったトレンドアフィリエイトという手法。

普通の集客方法が、販売する商品に対して集客するのに対し、トレンドアフィリエイトは商品を持たずに流行を追いかけ集客し、一定数クリックされる自動広告で収益を上げます。

こんな逆転の発想があるのかと、DRMを知った時の様に衝撃が走ったのを覚えています。

当時は眠い目を擦りながら、学んでは実践をしての繰り返し。

料理からWEBという畑違いの作業だったので、本当に知恵熱が出たりしました。

何もかもかがわからない状態、何がわからないのかもわからない状態。

それでも、教材通りにひたすら行動をした結果、一週間後には1500円という利益が出ていました。

とはいえ、Google Adsenseだけに収益をゆだねるのは非常に大変です。

ブログ運営者の中にはそれだけで数百万と稼いでいる人もいますが、オススメは物販

WEBで本当に稼ぐことが出来る(リアリティを持った)私は、さらに他の教材や書籍・セミナー・コンサルなどから学び、物販アフィリエイトや高額コンテンツ販売、さらには念願のDRMなどを実践していきました。

WEBビジネスを始めて半年で日給10万円…

WEBビジネスを始めて半年ほどたったころ、朝目を覚ましてPCを立ち上げると日給10万円越えの利益が出ていました。

アフィリエイト 日給 10万円越え

飲食店などとは異なり、アフィリエイトの収入はそのまま利益になります。

人件費も、食材費も、家賃も、光熱費もほとんどかからない利益。

たったPC1台で十分な収入を稼ぐことができるという事実。

これがビジネスモデルの違いなのだと実感したわけです。

その後、某ASP(広告代理店みたいなの)で一番商品を販売したということで、登壇させてもらったりもしました。

これからWEBビジネスを始めるのであれば、アフィリエイトから始めると良いかと思います。

アフィリエイトをすることで、集客と販売というビジネスで最も大切なスキルを稼ぎながら学ぶことが出来ます。

ただし注意してほしいのは、アフィリエイトが他社依存の不安定なビジネスモデルだということ。

たとえば、商品販売が終了してしまった場合、それまでに構築してきた仕組みが無駄になります。

ですので、ある程度の経験を積んだら、自社商品の販売やWEBマーケティングへ進むことをオススメします。

自分でコントロールできるビジネスを持つ

自社商品の販売というと、サプリやプロテインなどを工場などに依頼して、PB(プライベートブランド)として販売することを考えるかもしれません。

もし、あなたが美容や健康関連の仕事をしているのであれば、そういった自社商品販売も良いかと思います。

ですが、もっと簡単に自社商品を販売することが出来ます。

そのひとつがコンテンツビジネスです。

コンテンツビジネスを簡単に説明をすると、あなたの経験や情報をまとめてWEBで販売することです。

書籍やCDのような権利収入の仕組みと同じです。

自分で販売をしても良いし、アフィリエイターに販売を任すことも出来ます。

一般的な商品のように在庫を抱える必要もなく、原価もかからないので決済システムなどの販売手数料などを引けば、粗利90%といったビジネスを今日から持つことが出来ます。

粗利90%という数字は、リアルビジネスをされた経験のある方であれば、ハッキリ言って異常値。

しかも、販売までの仕組み化を作ることで、PC1台で株や不動産のような不労収入に近い収入を得ることが出来ます。

なにより、ビジネスを自分でコントロールすることが出来るというのが一番のメリットと言えます。

最期に…

ここまでお読み頂きありがとうございました。

サクッと書く予定が、気が付けばこんな文字数に…。

失敗だらけの人生ですよね?

それでも失敗が次の成功の糧になると思っています。

このブログでは、ブログやDRM、コンテンツビジネスなど、ビジネスの仕組み化や自動化について、私が学んできたことや失敗してきたこと、実践していることなどを中心にお話ししていきます。

少しでもお役にたてたら幸いです。

WEBでもリアルビジネスでも何か質問や相談などあれば、遠慮なくLINEにご連絡ください。